この遺跡が最初に発見されたのは、1926年であり、1930年に航空写真で撮影された。しかし、
イアン・グラハムが1962年に10日間かけて地図を作成するまでは、うっそうとしたジャングルの奥深くにあったために、ほとんど注目されてこなかった。詳細な調査は、1978年にBruce DahlinとRay Mathenyの指揮するプロジェクトから始まった。考古学者たちは、エル=ミラドールが
ティカルや
ワシャクトゥンのような
古典期の大都市とは、同時に建てられたものではなく、さらに数世紀も早い
先古典期の時代に建てられた都市であったことに驚かされた。エル=ミラドールが繁栄し始めたのは、およそ
紀元前10世紀からであり、全盛期は、
紀元前3世紀から
紀元後2世紀にかけての時期で、人口は8万人に達したと考えられる。その後は建設活動が行われず、幾世代にわたっていったん放棄された形になったが、再び古典期後期になって人が住み始め、最終的に放棄されたのは
9世紀の終わりごろである。
そういった構造の建造物のうち、もっとも著名で、巨大な建築複合が2つ挙げられる。ひとつは「エル=ティグレ」と呼ばれるものである。「
エル=ティグレ」の最も高いピラミッドは、55mに達する。もう一方は、「
ラ=ダンタ」と呼ばれていて、最も高いピラミッドは、70mに達し、マヤの建造物の中では最も高い。加えてこのピラミッドが載っている巨大な基壇の底辺は18000mに達する壮大なものである。エル=ミラドールの建造物の大部分のものは、切石を組み合わせて建てられており表面は漆喰で象られたマヤの伝説上の神々の顔で飾られている。