1946年8月19日アーカンソー州ホープ市生まれ。ビルが生まれる約3ヵ月前に自動車事故で死去した父ウィリアム・ジェファソン・ブライス・ジュニアにちなんでウィリアム・ジェファソン・ブライス三世と名づけられた。ビルが生まれた後、母のヴァージニア・キャシディ・ブライスは、看護婦の勉強のため
ニューオーリンズへと移り、ビルは4歳になるまでホープにある母方の祖父母のもとで育つ。
1950年ニューオーリンズから戻った母が、自動車販売店を営む ロジャー・クリントンと再婚し、義父、母と3人で暮らし始めた。
1953年一家は同州ホットスプリングスへ移り住む。義父は強度の
アルコール中毒であり、家庭内で頻繁に暴力を振るった。ビルが小学生の頃、酒に酔った義父が発砲した弾丸がビルの耳元をかすめる事件がおきるなど不遇の少年時代であった。
1956年には異父兄弟のロジャー・キャシディ・クリントンが誕生。その後ビルは自ら姓をクリントンへ正式に改めている。
1974年の中間選挙でアーカンソー州選出の下院議員に出馬するが落選。
1975年ヒラリー・ローダムと結婚。
1977年のアーカンソー州司法長官に選出されて政界入りを果たした。また同年の大統領選では民主党候補のジミー・カーターの選挙運動に参加した。
1978年に32歳でアーカンソー州知事に初当選、同州の教育水準の向上や道路の整備などに取り組んだ。
1980年娘の
チェルシーが生まれる。同年の春、カーター大統領が他州に収容されていたキューバ人難民をアーカンソー州に移すのをクリントン知事が容認したため、一部から批判された。道路整備の財源確保のための自動車登録料の値上げやキューバ人難民の問題などが原因で、再選をかけた同年の知事選に敗れた(当時のアーカンソー州知事の任期は2年)。次の
1982年の知事選では当選してカムバックを果たした。以後
1984年、
86年、
90年と連続当選を果たした。アーカンソー州知事時代には南部成長政策理事会理事長、全米知事協会副会長、全米知事協会会長、全州教育委員会委員長を歴任。
大統領選挙では中道や保守派からその左派的色彩を厳しく批判され、徐々に中道よりへの修正を図った。1994年の中間選挙以後は政策の一貫性のなさがしばしば批判の対象にされる。中道で時によってはリベラルなスタンスを打ち出す
ポピュリストとも呼ばれる。急進リベラルからは歴代の民主党政権の中では最も保守的とされたが、一方で保守派からは「社会主義者」と呼ばれる。