語源は、在
米独人東洋学者の
ウィットフォーゲルと
馮家昇との共著である『中国社会史.遼』「序論」である。その説に従えば、この4王朝には、
モンゴル系や
ツングース系の民族が
漢民族を征服し、「
中国帝国」の系統に属する王朝を起こしたが、少数の異質な文化を保持した民族が
中国を支配した。そのため、相前後する漢民族王朝と、政治・経済・社会・文化などの諸方面において、相当な隔たりを持った性格を示していることによって、「征服王朝」という風に命名したという。
その統治体制は、遼の北面制・南面制に見られるような複合的な統治体制であり、金・元・清も同様の多元的な政治体制をとった。この二重(多重)支配体制に対して、統治民族の本来もつ性格を残存しながらも、中国世界の統治に成功したと見る見方がある。一方では正反対に、異民族は結局中国文化に同化してしまい、そのために弱体化して滅亡に至ったとする考え方もある。その二面的な考え方に対し、異質な征服民族と中華民族との文化面での接触により同化し、第三の全く新しい文化が生まれたとする見方もある。