検察側の主張によると、少年が稽古や人間関係の厳しさから部屋を脱走したことに山本が憤慨し、6月25日に
ビール瓶で頭を殴り、さらに数人の力士に「かわいがってやれ」と暴行を指示したとされる。翌26日も通常は5分程度のぶつかり稽古を30分ほど行い、倒れた後も蹴りを入れたり
金属バットで殴打するなど集団暴行した。警察の任意取調べに対し親方だった山本や数人の兄弟子力士が容疑を認め
、また愛知県警は死因特定の遺体の組織検査や、煙草を押しつけたと思われる火傷の跡など、暴行と死亡との因果関係が立証されたため、
2008年2月7日、山本と兄弟子3人を傷害および傷害致死容疑で逮捕した。また遺族に無断で遺体を火葬しようとしたことも発覚しており暴行の事実を隠蔽しようとした疑いがもたれている
。また、同年2月29日に、これとは別の兄弟子3人(うち1人はこの時点で引退済)が、愛知県警に
書類送検された。
兄弟子の1人は、脱走した少年を連れ戻した父親が部屋にとどまることを懇願した2007年6月20日、少年は部屋の屋上で喫煙し吸い殻を階段から投げ捨てており、日頃から近隣住民の苦情を受けていた山本の夫人がこれに憤慨し暴行を指示したと証言している。
2007年10月9日、解雇された15代時津風(山本順一)の後継として部屋を継承するために
時津海正博が急遽現役を引退して、16代時津風を襲名した。時津海の引退と年寄襲名により、日本相撲協会は平成19年11月場所番付に於いて、引退した時津海が位置する予定であった西前頭11枚目を空位にするという措置を取った。これは時津海が年寄時津風として番付に掲載されることにより、番付上の重複を避けるためである。幕内の番付で空位が発生したのは、1873年(明治6年)11月に当時の東京相撲の関脇だった小柳ら以来(この時は力士名を墨で塗りつぶした)、実に134年ぶりという珍事となった。