代わりに下賜されたのが、現在の
京都御苑内で「有栖川宮邸跡」の碑が建てられている御所建礼門前の土地(
凝華洞跡)であった。この地には明治2年(1869年)に新御殿が落成したが、わずか3年後の明治5年(
1872年)、すでに
奠都によって東京に移っていた
明治天皇からの呼び寄せにより幟仁親王も東京へ転住することになったため、宮邸の土地家屋は
京都府に引き渡され、裁判所として使用された。この建物の一部は後に
烏丸通下立売角に移築され、現在は同地で
平安女学院大学の学舎の一つ(有栖館)として用いられている。