李?は
937年、第六子として誕生。特筆すべき身体的特徴として瞳が二重(重瞳)だったというものがある。幼い頃から早くも詩文や書画に才能を見せていた。もとは鄭王だったが、
959年に太子だった弘冀が没し、その他の兄も皆早世していたため、後継者と目されて呉王に封ぜられた。
961年(
宋の
建隆2年)、洪州(
江西省南昌)に遷都すると、李?は太子に立てられてもとの都である
金陵で監国として国事代行を担うことになった。6月、父が崩ずると金陵で即位した。内政では貨幣に鉄銭を導入して経済を混乱させ、重用する
韓熙載などの臣下に任せきりであった。国力が衰えてきたとはいえ江南の豊かな経済力を背景に、自身の詞や数々の逸話で知られるような文芸活動と絢爛豪華な宮廷生活を続けていった。
974年(
開宝7年)、宋は李?の来朝を要請したがこれを拒否したため、口実を与えて侵攻を許すこととなった。そして
975年12月、金陵が陥落し、北方に連行されることになった。
976年1月、開封に到着し、以後軟禁生活を余儀なくされた。
違命侯(のちに
隴西公)に封じられた。
詞は李?が亡国を経験する前後で作風が異なる。宮中で生活していた頃の作品は花鳥風月や男女間の機微を詠ったりと華美なものがほとんどであった。しかし幽閉生活という境遇は李?の心情に大きな変化をもたらし、そこから生まれた哀切な表現は後悔や望郷の念といった悲壮さを帯びており、芸術的に一層の高まりをみせた。