1963年
7月15日、大物右翼であった
野村秋介は
松野卓夫とともに、
神奈川県平塚市にあった自民党の政治家・
河野一郎(当時は
建設大臣)の私邸に侵入した。河野は不在であったが、野村が河野の秘書の
紫藤研一らに対し
拳銃を突きつけて脅迫。家人全員を家の外に逃がした後で、松野が応接間の中にガソリンをまき、野村が点火。河野邸の木造平屋建ての建物は全焼した。
野村は、逮捕後の警察の取調べに対して、犯行の動機を「かねてから河野大臣が自民党内の派閥抗争を激化さしておる。その反省を求めるためにやった。行動については、自分が一人で計画して行なった」と供述した。警察は背後関係を疑ったが、背後関係者としてはっきりと刑事責任を追及し得るという事実は発見できなかった。