狸憑きの原因は、多くは狸が人間にいたずらをされたり、巣を荒らされたりしたためという。これは、山伏などの行者の祈祷よって狸が退治され、憑きものから逃れた者が後から語るためにわかることである。
幕末の書物『視聴草』には、死者に狸が憑いたとする話がある。
文政11年(
1828年)3月、やちという老婆が
江戸の屋敷に仕えていたが、あるとき突然気絶した。数時間後に回復した後、四肢の自由は失われていたが、食欲が10倍ほどに増し、陽気に歌うようになった。不安がった屋敷の主が医者に見せると、やちの体には脈がなく、医者は奇病と言うしかなかった。やがて、やちの体は痩せ細り、体に穴があき、その中から毛の生えた何かが見えるようになった。秋が過ぎた頃、冬物を着せようと着物を脱がせると、着物には獣らしき体毛がおびただしく付着していた。枕元には狸の姿が現れるようになり、ある夜からは枕元に柿や餅が山積みに置かれるようになった。やちが言うには、来客が持参した贈り物とのことだった。読み書きもできないはずのやちが、不自由のはずの手で和歌を紙にしたためることもあった。やちの食欲は次第に増し、毎食ごとに7膳から9膳もの飯、毎食後に団子数本ときんつば数十個を平らげた。やがて11月2日、やちの部屋に
阿弥陀三尊の姿が現れ、やちを連れて行く姿が見えた。やちの体からは老いた狸が抜け出して去って行き、残されたやちの体は亡骸と化していた。やちの世話をしていた小女の夢に狸が現れ、世話になった礼を言い、小女が目覚めると礼の品として金杯が置かれていたという
。
1979年には、この狸憑きの俗信が原因で現実の殺人事件が起きている。
熊本県芦北郡芦北町で、20歳代の男性
[唐沢俊一の著書『カルトの泉 オカルトと猟奇事件』(ミリオン出版、2008年、ISBN 978-4-8130-2092-9)では被害者は女性として記述されているが、これは誤りで、実際には男性である。]が同年3月から高熱を出したり意味不明の言葉を口走ったりするようになったために職場を退職し、自宅療養を開始。母親が祈祷師に診てもらったところ「狸が憑いている」とのことだった。同年5月、奇行を繰り返す男性に対して両親、姉、弟の4人は「狸を追い出すには叩き出すしかない」と話し合い、弟が男性を取り押さえ、父と姉が3時間にわたって男性を殴り続けた挙句、男性は死亡した。この一家4人は同月に傷害致死の疑いで緊急逮捕されている
[「息子にタヌキがついた 一家で殴り殺す 熊本」 『毎日新聞』 1979年5月7日付夕刊。]。ノンフィクションライター・礫川全次は、話に出てくる祈祷師が憑き物の診断を下しながらその憑き物を落とす処置を行った形跡がないことを指摘し、憑き物の知識に乏しい祈祷師が無責任な診断を下し、それを信じた家族が、どこかで聞きかじった憑き物落としをしてしまったというのが本事件の真相ではないかと述べている
。